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1983年(昭和58年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


ヤクルト 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ 阪急 西武 日本ハム 南海 選択方法



高校生が大豊作の年。水野雄仁(池田高)、藤王康晴(享栄高)、小野和義(創価高)、渡辺久信(前橋工高)、野中徹博(中京高)、池山隆寛(市立尼崎高)ら、人気と実力を兼ね備えた甲子園の星がズラリ。大学生では高野光(東海大)が注目された。


●「阿波の金太郎」こと水野雄仁(池田高)は巨人へ
高校2年夏、3年春、3年夏と、三回甲子園へ出場。高校2年夏の甲子園はやまびこ打線の5番打者(外野手)として、高校3年の春の甲子園はエース兼四番打者として、甲子園夏春連覇に貢献した。

そして迎えた最後の夏、一回戦で太田工を8−1、二回戦で高鍋を12−0、三回戦で広島商を7−3と、圧倒的な力で破り、準々決勝へ駒を進めた。準々決勝の対戦相手は好投手・野中徹博を擁する中京高(愛知)。

【1983年夏の甲子園・準々決勝】
池  田 010 000 002|3
中  京 000 010 000|1

▼池田スタメン
(中)坂本B
(二)金山B
(三)江上B
(投)水野B
(左)吉田B
(右)山田B
(一)高橋B
(遊)松村B
(捕)井上B
▼中京スタメン
(中)今井B
(二)安藤B
(捕)鈴木B
(投)野中B
(右)紀藤B
(一)長島B
(左)佐々木B
(三)高橋B
(遊)豊永B
      送りバントを使わず、攻めて攻めて攻めまくる豪快な野球を身上とする「攻めダルマ」こと蔦文也監督(池田)と、送りバントやスクイズを多用しねちっこく嫌らしい野球を身上とする名将・杉浦勝文監督(中京)の相反するチームの戦いは事実上の決勝戦といわれ、球史に残る名勝負となった。

試合は、水野(池田)と野中(中京)の手に汗握る投手戦となり、1−1の同点で迎えた9回表1死、バッターは高橋(池田)。高橋は野中(中京)の投げた6球目の甘いインコース、高めの球をレフトスタンドに運ぶ決勝アーチを放った。その後、気落ちした野中から、8、9番打者がダメ押しの3点目を奪い、中京の息の根を止めた。

事実上の決勝戦といわれた中京戦を制した池田高は、準決勝でPL学園高と対戦。戦前の予想では圧倒的に池田高が有利も、連戦の疲れからか、水野雄仁にいつもの球のキレがなく、0−7で敗退した。余談だが、当時の池田高の人気は凄まじく、甲子園ギャルと警備員との小競り合いも度々だったとか。

「阿波の金太郎」の異名をとり大人気だった水野雄仁は、「巨人以外は拒否」と公言し、希望通り巨人に単独1位指名され入団。プロでは入団3年目に8勝、4年目に10勝をあげローテーションの一角を担うが、故障が多く、二度にわたる肩の手術の影響から31歳で現役を引退。

一方、甲子園で雌雄を決した野中徹博(中京高)は阪急に1位指名され入団するも、故障により泣かずとばず。阪急自由契約後、台湾に渡り、1994年に日本プロ野球界復帰。苦労が実り、1997年に涙の初勝利をあげた。かたや天才・野中徹博がいたため登板機会に恵まれず、甲子園では外野手での出場が多かった紀藤真琴は、プロにはいり力をつけ、カープのエース格として活躍、中京高でエースナンバーを競った野中と人生の明暗がくっきりとわかれた。


●高野光(東海大)にヤクルト、大洋、阪急、西武の四球団が競合
東海大浦安高〜東海大。高校3年夏の千葉大会四回戦で、銚子利夫(市銚子高〜法政大〜大洋1位)と投げ合い、0−1で惜敗し甲子園を逃す。東海大で力をつけ、150キロの速球を武器に首都大学リーグ記録となる21連勝をマーク。

ドラフト会議では、ヤクルト、大洋、阪急、西武の四球団が1位指名し、抽選によりヤクルトへ。プロ1年目に開幕投手をつとめ、同年10勝をマーク。故障との戦いで実働期間は短く、通算成績は、180試合登板し、51勝55敗13セーブ、防御率4.08。

2000(平成12)年11月、自宅マンションから飛び降り自殺し、この世を去った。


●「球道くん」のモデル・中西清起(リッカー)は阪神へ
高知商高〜リッカー。高校1年夏、3年春、3年夏の合計三回甲子園へ出場。高校1年夏の甲子園では森浩二(昭和54年阪急2位)の控えで二試合登板。

高校3年春のセンバツ大会は、決勝戦で伊東昭光(昭和60年ヤクルト1位)の帝京と対戦、0−0のまま延長戦に突入、10回裏サヨナラ勝ちし、優勝投手となった。

高校3年夏の甲子園は川村一明(阪急1位指名拒否)がエースの松商学園を5−0でくだすも、続く2回戦で箕島に0−5で敗れた。水島マンガ「球道くん」のモデルといわれ、甲子園では「球道くん」の愛称で親しまれた。

リッカーを経て、阪神に1位指名され入団。プロでは先発・中継ぎ・抑えに大活躍。1985年には63試合登板、11勝13セーブの活躍で阪神優勝に大きく貢献、最優秀救援投手に。通算成績は477試合登板し、63勝74敗75セーブ、防御率4.21。


●甲子園の怪物・藤王康晴(享栄高)は地元のドラゴンズへ
高校3年、春の甲子園に出場し、大会通算3本塁打の大会タイ、11打席連続出塁の新記録をつくり、怪物と騒がれた。夏は愛知大会の決勝で、野中(阪急1位)の中京高に敗れ甲子園を逃す。

ドラフト会議で地元のドラゴンズに1位指名され入団。プロでは伸び悩み、大成せずに終わった。通算成績は、237試合出場し、92安打、10本塁打、打率.220。


●「江夏二世」の小野和義(創価高)は南海、近鉄、日本ハムの三球団競合
創価高のエースとして、高校3年夏の甲子園に出場。「江夏二世」の声もあったが、本領を発揮できずに初戦敗退。しかしその素質は高く評価され、南海、近鉄、日ハムの三球団が1位指名し、抽選により近鉄へ。

プロでは入団3年目に14勝をマークし、左のエースとして活躍。近鉄〜西武〜中日と渡り、通算284試合登板、82勝78敗4セーブ、防御率4.03。


●その他、指名された主な選手は
投手では、通算176勝の「星の王子様」こと星野伸之(阪急5位)、最多勝を三回獲得した渡辺久信(西武1位)、1993〜1994年に二年連続最多勝を獲得した山本昌広(中日5位)、メジャーでも活躍した吉井理人(近鉄2位)、通算84勝でまだまだ現役・加藤伸一(南海1位)、通算67勝11セーブの香田勲男(巨人2位)、1985年度新人王の川端順(広島1位)、1994〜1996年に三年連続10勝をマークした紀藤真琴(広島3位)、通算53勝30セーブの池田親興(阪神2位)、通算57勝の仲田幸司(阪神3位)、通算53勝の津野浩(日本ハム3位)

野手では、ゴールデングラブ賞の常連で打っても通算1462安打の辻発彦(西武2位)1984年度新人王の小早川毅彦(広島2位)、通算820安打の仁村徹(中日2位)、通算1521安打304本塁打の「ブンブン丸」こと池山隆寛(ヤクルト2位)、俊足巧打で通算889安打の白井一幸(日本ハム1位)、通算916安打147本塁打の村上隆行(近鉄3位)、1989年に26本塁打を放った岸川勝也(南海3位)、首位打者一回と盗塁王を二回獲得した佐々木誠(南海6位)





1983年(昭和58年)ドラフト会議の結果

巨人
1位 水野 雄仁 池田高 投手
2位 香田 勲男 佐世保工高 投手
3位 林 哲雄 岐阜第一高 内野手
4位 加茂川 重治 茨城東高 投手
5位 福島 敬光 荒尾高 内野手
6位 上福元 勤 早稲田実高 内野手
プロ入り後の成績

広島
1位 川端 順 東芝 投手
2位 小早川 毅彦 法政大 外野手
3位 紀藤 真琴 中京高 投手
4位 伊藤 寿文 東芝 捕手
5位 石本 龍臣 倉吉北高 投手
6位 阿部 慶二 ヤマハ発動機 内野手
プロ入り後の成績

大洋
1位 銚子 利夫 法政大 内野手
2位 青木 秀夫 東芝 投手
3位 板倉 賢司 早稲田実高 内野手
4位 大門 和彦 東宇治高 投手
5位 戸塚 友行 古河一高 投手
6位 片平 保彦 横浜高出 捕手
プロ入り後の成績

阪神
1位 中西 清起 リッカー 投手
2位 池田 親興 日産自動車 投手
3位 仲田 幸司 興南高 投手
4位 川原 新治 大阪商大 投手
5位 吉川 弘幸 大成高 外野手
6位 岩切 英司 住友金属鹿島 捕手
プロ入り後の成績

中日
1位 藤王 康晴 享栄高 内野手
2位 仁村 徹 東洋大 投手
3位 三浦 将明 横浜商高 投手
4位 山田 和利 東邦高 内野手
5位 山本 昌広 日大藤沢高 投手
6位 清水 治美 日本通運 投手
プロ入り後の成績

ヤクルト
1位 高野 光 東海大 投手
2位 池山 隆寛 市立尼崎高 内野手
3位 橋上 秀樹 安田学園高 捕手
4位 桜井 伸一 成田高 内野手
5位 加藤 正治 日本通運 投手
6位 金敷 一美 東芝府中 外野手
プロ入り後の成績

西武
1位 渡辺 久信 前橋工高 投手
2位 辻 発彦 日本通運 内野手
3位 青山 道雄 プリンスホテル 外野手
4位 川村 一明 プリンスホテル 投手
5位 仲田 秀司 興南高 捕手
プロ入り後の成績
   

阪急
1位 野中 徹博 中京高 投手
2位 小林 敦美 リッカー 投手
3位 飯塚 富司 三菱重工横浜 内野手
4位 東 哲也 三本松高 投手
5位 星野 伸之 旭川工高 投手
6位 栫 政彦 鹿児島高 投手
プロ入り後の成績

日本ハム
1位 白井 一幸 駒沢大 内野手
2位 田中 学 日立造船有明 投手
3位 津野 浩 高知商高 投手
4位 野村 裕二 熊本工高 捕手
5位 斉藤 満 金足農高 投手
6位 高橋 功一 鷲宮高 投手
プロ入り後の成績

近鉄
1位 小野 和義 創価高 投手
2位 吉井 理人 箕島高 投手
3位 村上 隆行 大牟田高 投手
4位 光山 英和 上宮高 捕手
5位 安達 俊也 愛工大名電高 内野手
6位 近藤 章仁 清工建設 投手
プロ入り後の成績

南海
1位 加藤 伸一 倉吉北高 投手
2位 山口 裕二 佐賀竜谷高 外野手
3位 岸川 勝也 佐賀北高 内野手
4位 山中 律俊 印旛高 内野手
5位 西浦 敏弘 近畿大 内野手
6位 佐々木 誠 水島工高 投手
プロ入り後の成績

ロッテ
1位 比嘉 良智 沖縄水産高 投手
2位 田中 力 東芝府中 捕手
3位 長冨 浩志 国士舘大 投手
4位 岡島 厚 神奈川大 捕手
5位 長利 礼治 青森商高 内野手
6位 高橋 忠一 東京ガス 外野手
プロ入り後の成績





1983年(昭和58年)ってどんな年?
日本レコード大賞 細川たかし「矢切の渡し」
最優秀新人賞 THE GOOD-BYE「きまぐれONE WAY BOY」
世相や流行 東京ディズニーランド開園 NHKの「おしん」大ヒット
流行言葉 おまえはすでに死んでいる 義理チョコ
社会の出来事 三宅島大噴火 戸塚ヨットスクール校長逮捕
プロ野球の優勝チーム セ:巨人72勝50敗8引 パ:西武86勝40敗4引
プロ野球の最優秀選手 セ:原辰徳(巨人) パ:東尾修(西武)
春の甲子園優勝校 池田(バッテリー:水野−井上)
夏の甲子園優勝校 PL学園(バッテリー:桑田−小島)