ホーム > 年度別ドラフト会議 > 
1969年(昭和44年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


アトムズ 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ 阪急 西鉄 東映 南海 選択方法



この年は、甲子園のアイドル・太田幸司(三沢高)と、東京六大学の実力派、谷沢健一・荒川堯(早稲田大)の3人が「ビッグ3」とよばれ、注目が集まった。


●荒川堯(早稲田大)を大洋が強行指名
早稲田実高〜早稲田大。早稲田大では19本の本塁打を放ち、同僚の谷沢(早稲田大)、太田(三沢高)で、「ビッグ3」とよばれた。

王貞治の一本足打法を考案した荒川博の養子にあたる荒川堯は、ドラフト前より、「巨人、アトムズ以外はプロ拒否」と宣言するが、指名順位3番目の大洋が荒川を強行指名した。しかし 荒川は大洋入りを拒否。

年明けの1970年1月5日、荒川堯は犬を連れて散歩していると、2人組の暴漢に襲われ、棒で頭を殴られ重傷を負った。当時は指名を拒否することが”悪いこと”みたいな風潮があったので、妙な正義感に燃えた人間の犯行か、熱狂的な大洋ファンによる犯行だとかいわれていたが、はたして…。この事件は社会問題として連日のように新聞・テレビで報道された。

同年2月に、荒川堯はアメリカに野球留学。騒ぎがおさまった同年10月、なんと大洋に電撃入団。

これで一件落着と思いきや、それから2ヵ月後の12月、大洋は荒川をヤクルトに金銭トレード。いわゆる三角トレードだが、またまた大問題になった。(荒川は翌年の開幕から1ヶ月間の出場停止処分)

その世間を騒がせた荒川堯のプロ生活はわずか5年で終わる。一軍での通算成績は225試合出場し、195安打、34本塁打、打率.253と、東京六大学のスーパースターにしては寂しい成績で彼の野球人生は幕を閉じるが、暴漢に襲われたときの右目の視力低下という後遺症がなければ、もっと華やかな野球人生を歩めただたろう。


●甲子園のヒーロー・太田幸司(三沢高)は近鉄へ
三沢高のエースとして、高校2年夏、3年春、3年夏の合計三回甲子園へ出場。高校2年夏の甲子園は2回戦敗退、高校3年春の甲子園は浪商に延長15回惜敗したが、スタルヒンの再来と騒がれた。

そして迎えた最後の夏、青森大会で5試合37イニングを投げ、60奪三振、失点1、しかも決勝戦ではノーヒットノーランを達成し、再び甲子園へ戻ってきた。甲子園では、1回戦・大分商戦を延長10回3−2でくだしサヨナラ勝ち、続く2回戦は大阪の強豪・明星を2−1、準々決勝は平安を2−1、準決勝は玉島商に3−2と、強豪校を次々と撃破し、東北勢として初の決勝戦へ駒を進めた。

五万五千人の大観衆で埋まった甲子園決勝戦。試合開始午後1時、試合終了が午後5時16分、なんと4時間16分の死闘は規定により引き分けとなった。

翌日の再試合で敗れ、惜しくも優勝を逃した太田幸司だが、白系ロシアの血をひく甘いマスクが女性にうけ、空前絶後の人気選手となった。「コーちゃん」の愛称で親しまれ、甲子園のアイドルブームの草分け的存在。

ドラフト会議では、阪神タイガースと相思相愛で、阪神指名確実と囁かれていたが、指名順位2番目の阪神が指名したのは太田ではなく上田(東海大)で、太田の抽選権をつかんだのは指名順位6番目の近鉄。

甲子園のスーパースターの入団で、近鉄は球団始まって以来の大騒ぎ。プロ1年目のオールスターでは、1軍での実績がほとんどない太田幸司がパ・リーグの投手部門でファン投票1位になるなど、太田フィーバーはプロ入り後も加熱する一方。

ちなみに、オールスターのパ・リーグ投手部門で、5回(1970年、1971年、1972年、1974年、1975年)、ファン投票1位になった。
通算成績は、58勝85敗4セーブ、防御率4.05。


●ビッグ3の一人・谷沢健一(早稲田大)はいの一番くじの中日へ
習志野高〜早稲田大。早稲田大では通算18本の本塁打。ドラフト会議ではいの一番くじをひいた中日が1位指名。在京球団希望の谷沢だが、「これも運命」と、すんなり中日へ入団。

プロでは入団1年目からレギュラーとして活躍し、新人王を受賞。1976年に首位打者を獲得し、順風満帆にみえたが、1978年に選手生命も危ぶまれるアキレス腱断裂。しかし2年後、奇跡の復活を遂げ、二度目の首位打者に輝く。


●西井哲夫(宮崎商高)はヤクルトへ
甲子園は春夏ともに出場し、大会屈指の好投手と騒がれながら、春は銚子商高に、夏は明星高に敗れ、結局1勝もできずに終わった。

「素質は太田幸司(三沢高)と互角かそれ以上」とプロから高く評価された西井はヤクルトに指名され入団。プロ通算成績は63勝66敗20セーブ。


●その他、指名された主な選手は
投手では、最優秀防御率2回(1970年、1974年)、最多セーブ(1974年、1976年)、最高勝率(1972年)のタイトルを獲得した佐藤道郎(南海1位)、1974年の最多勝投手・松本幸行(中日4位)、プロ4年目に22勝をマークした上田二朗(阪神1位)、1981年に15勝0敗の成績で勝率1位になった間柴富裕(大洋2位)、通算110勝の柳田豊(西鉄8位)、1975年にノーヒットノーランを達成した神部年男(近鉄2位)

野手では、本塁打王3回(1981年、1983年、1988年)、打点王2回(1971年、1988年)の門田博光(南海2位)、ベストナイン2回受賞の大矢明彦(アトムズ7位)、巨人の遊撃手としてイブシ銀の活躍をした河埜和正(巨人6位)、通算773安打の八重樫幸雄(アトムズ1位)、通算698安打の岡持和彦(東映5位)らが指名された。





1969年(昭和44年)ドラフト会議の結果

中日 (指名順位1番目)
1位 谷沢 健一 早稲田大 外野手
2位 渡部 司 石川島播磨 投手
3位 西田 暢 熊谷組 内野手
4位 松本 幸行 デュプロ 投手
5位 山崎 公晴 松商学園高 内野手
6位 大石 正行 横手高 投手
7位 金山 仙吉 中京商高 捕手
8位 渋谷 幸春 四国電力 投手
9位 東 貞美 三国高 投手
10位 小島 健郎 日本生命 投手
11位 福原 豊治 大倉工業 外野手
プロ入り後の成績

阪神 (指名順位2番目)
1位 上田 二朗 東海大 投手
2位 林 伸男 西濃運輸 外野手
3位 但田 裕介 堀越高 投手
4位 上西 博昭 三重高 投手
5位 佐藤 正治 河合楽器 外野手
6位 樋野 和寿 松山商高 内野手
7位 池島 和彦 元三協精機 投手
プロ入り後の成績

大洋 (指名順位3番目)
1位 荒川 堯 早稲田大 内野手
2位 間柴 富裕 比叡山高 投手
3位 谷岡 潔 松山商高 内野手
4位 松島 英雄 静岡商高 投手
5位 石幡 信弘 富士重工 投手
6位 藤田 賢治 富山北部高 投手
プロ入り後の成績 

南海 (指名順位4番目)
1位 佐藤 道郎 日本大 投手
2位 門田 博光 クラレ岡山 外野手
3位 山本 功児 三田学園高 内野手
4位 藪上 敏夫 向陽高 投手
5位 中山 孝一 サッポロビ−ル 投手
6位 鈴木 治彦 大宮高 投手
7位 堀井 和人 法政大 外野手
8位 山田 克己 法政大 内野手
9位 北尾 一喜 中村高 内野手
10位 堀内 三郎 鯵ヶ沢高 外野手
プロ入り後の成績

西鉄 (指名順位5番目)
1位 泉沢 彰 盛岡鉄道管理局 投手
2位 三輪 悟 電電信越 投手
3位 阪口 忠昭 直方学園高 投手
4位 西島 正之 福岡一高 内野手
5位 片岡 旭 クラレ岡山 捕手
6位 山本 秀樹 横浜高 投手
7位 花田 敏郎 川内実高 投手
8位 柳田 豊 延岡商高 投手
9位 上薄 淳一 川内実高 内野手
プロ入り後の成績

近鉄 (指名順位6番目)
1位 太田 幸司 三沢高 投手
2位 神部 年男 富士鉄広畑 投手
3位 西村 俊二 河合楽器 内野手
4位 鈴木 香 駒沢大 外野手
5位 石山 一秀 平安高 捕手
6位 佐藤 竹秀 日本軽金属 外野手
7位 八塚 幸三 四国電力 投手
8位 斎藤 英雄 サッポロビ−ル 投手
9位 辻 忠嗣 三重高 内野手
プロ入り後の成績




東映 (指名順位7番目)
1位 片岡 建 リッカ−ミシン 投手
2位 中原 勇 日鉱佐賀関 投手
3位 渡辺 弘基 亜細亜大 投手
4位 岩崎 清隆 博多工高 投手
5位 猿渡 寛茂 三菱重工長崎 内野手
6位 岡持 和彦 立教高 投手
7位 瓜生 秀文 向上高 投手
8位 大橋 功男 静岡高 投手
9位 荒船 洋資 深谷商高 捕手
プロ入り後の成績

広島 (指名順位8番目)
1位 千葉 剛 日鉱日立 投手
2位 渋谷 通 平安高 内野手
3位 上垣内 誠 河合楽器 外野手
4位 森永 悦弘 日本楽器 投手
5位 小林 正之 千葉商大 内野手
6位 西沢 正次 河合楽器 捕手
7位 島村 雄二 大宮高 内野手
8位 斎藤 数馬 東洋紡岩国 投手
9位 竹中 昭 由良育英高 投手
10位 谷 博信 日本熱学 投手
11位 高橋 英二 仙台鉄道管理局 内野手
プロ入り後の成績

アトムズ (指名順位9番目)
1位 八重樫 幸雄 仙台商高 捕手
2位 西井 哲夫 宮崎商高 投手
3位 長井 繁夫 中央大 内野手
4位 佐々木 辰夫 四国電力 内野手
5位 井原 慎一郎 丸亀商高 投手
6位 外山 義明 クラレ岡山 投手
7位 大矢 明彦 駒沢大 捕手
8位 内田 順三 駒沢大 外野手
9位 生田 啓一 中京高 内野手
10位 松村 憲章 徳島商高 投手
11位 内田 睦夫 日立製作所 捕手
12位 山根 政明 大昭和製紙 投手
13位 一の関 秀則 五城目高 投手
14位 佐藤 広美 岐阜商高 内野手
プロ入り後の成績

ロッテ (指名順位10番目)
1位 前田 康雄 電電四国 投手
2位 小金丸 満 電電四国 内野手
3位 藤沢 公也 八幡浜高 投手
4位 問矢 福雄 二松学舎高 内野手
5位 田中 猛夫 熊本一工高 投手
6位 藤井 信行 協和醗酵 外野手
7位 吉田 好伸 和歌山工高 投手
8位 前村 泰正 育英高 投手
プロ入り後の成績

巨人 (指名順位11番目)
1位 小坂 敏彦 早稲田大 投手
2位 阿野 鉱二 早稲田大 捕手
3位 萩原 康弘 中央大 外野手
4位 大竹 憲治 専大京王高 内野手
5位 佐藤 政夫 電電東北 投手
6位 河埜 和正 八幡浜工高 内野手
7位 楠城 徹 小倉高 捕手
8位 柴崎 孝夫 取手一高 投手
9位 今久留主邦明 博多工高 捕手
10位 松尾 輝義 長崎商高 投手
11位 鎌野 裕 関東学院大 投手
12位 今 東一 拓大一高 捕手
13位 所 憲佐 市川高 捕手
14位 百田 慎太郎 有田工高 投手
プロ入り後の成績

阪急 (指名順位12番目)
1位 三輪田 勝利 大昭和製紙 投手
2位 国岡 憲治 鴨島商高 投手
3位 宇野 輝幸 日大一高 内野手
4位 田中 末一 大鉄高 外野手
5位 秋元 国武 日本石油 内野手
6位 長嶺 俊一 電電九州 投手
7位 岡本 一光 興国高 投手
8位 副島 末男 塩田工高 投手
プロ入り後の成績





1969年(昭和44年)ってどんな年?
日本レコード大賞 佐良直美「いいじゃないの幸せならば」
最優秀新人賞 ピーター「夜と朝のあいだに」
世相や流行 黒ネコのタンゴ大ヒット 甲子園で太田幸司フィーバー
流行言葉 ナンセンス アッと驚くタメゴロー ニャロメ
社会の出来事 東大安田講堂落城 アポロ11号人類初の月面着陸
プロ野球の優勝チーム セ:巨人73勝51敗6引 パ:阪急76勝50敗4引
プロ野球の最優秀選手 セ:王貞治(巨人) パ:長池徳二(阪急)
春の甲子園優勝校 三重(バッテリー:上西−中田)
夏の甲子園優勝校 松山商(バッテリー:井上−大森)