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1966年(昭和41年)2次ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


サンケイ 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 東京 阪急 西鉄 東映 南海 選択方法



この年のドラフト会議は9月と11月に分けて行われた。9月に行われたドラフト会議は1次、11月に行われたドラフト会議は2次とよばれ、1次ドラフトは国体出場をのぞいた高校生と社会人、2次ドラフトは国体出場の高校生と大学生が中心。


●夏の甲子園準優勝投手・西本明和(松山商高)は広島へ
西本明和は松山商高のエースとして、この年の夏の甲子園大会に出場し、1回戦で吉江喜一(1966年1次サンケイ2位)がエースの塚原高と対戦し、延長11回、1−0でサヨナラ勝ち。
続く2回戦では奥柿幸雄(1966年1次サンケイ1位)の静岡商高、準決勝では横山晴久(1971年東映1位)斉藤英雄(1969年近鉄8位)の両2年生投手を擁する小倉工高を破り、決勝戦へ進出。決勝戦では中京商高に1−3で敗退し、惜しくも準優勝に終わったが、大会ナンバーワン右腕と称えられた。

大分国体で優勝し、西本株は更に上昇。ドラフト会議では、阪急、広島、西鉄の3球団が1位にランクし、抽選により広島へ。「どんなに熱心に交渉しても絶対進学の意思は変えない」と、断固プロ拒否の西本だったが、粘り強い交渉の末入団。

プロでは1968年4月に交通事故で入院。シーズン終了後には追突され、むち打ち症にかかるなど、ふんだりけったりで、1970年に野手転向。肝臓病を患い、1973年退団。1976年にプロ復帰するが、思ったような活躍はできなかった。

ちなみに、1974年ドラフト外で巨人へ入団した西本聖投手は実の弟。弟は甲子園に出場できず、高校時代の実績では兄の足元にも及ばないが、プロでは立場が逆転し、通算165勝17セーブをマークした。


●甲子園春夏連覇の偉業を達成した中京商高から4選手が指名される
この年に甲子園春夏連覇の偉業を達成した、愛知・中京商高から、平林二郎(阪急1位)伊熊博一(中日1位)加藤英夫(近鉄2位)谷沢正(広島2位)の4選手が指名された。

プロでは、平林は足と守りのスペシャリストとして、加藤は中継ぎ投手として活躍するも、伊熊は成功せずに終わった。矢沢は広島を拒否し、ドラフト外で巨人へ入団。1975年には捕手として100試合出場するが、レギュラーを奪取するまでには至らず、通算成績は263試合して532打数122安打、15HR、打率.229。

中京商は翌年、中京に校名変更。甲子園を我が物顔で暴れまくった高校野球界屈指の名門・中京商だが、中京に校名変更後、一度も優勝はない。現在は中京大中京。


●1962年センバツ優勝投手・八木沢荘六(早稲田大)はロッテへ
作新学院高〜早稲田大。作新学院時代は、高校二年夏、三年春、三年夏と、合計三回甲子園へ出場。

圧巻だったのは1962年春のセンバツ大会で、準々決勝の八幡商では延長18回0−0で引き分け、翌日の再試合は2−0で勝利。準決勝の松山商戦で延長16回の激戦の末3−2で勝利。決勝の日大三高は完封勝利。八木沢投手は傷だらけの栄光と称えられる大活躍で、作新学院を優勝に導いた。

作新学院高は、その年の夏の甲子園大会でも優勝し、史上初の春夏連覇という偉業を達成したのだが、エース・八木沢は赤痢で入院し、一球も投げることがなかった。

高校卒業後、早稲田大に進学し、通算24勝。ドラフト会議では、大洋、東映、阪急の3球団が1位にランクし、抽選により東京へ。プロ通算成績は71勝66敗8S。1973年10月10日の太平洋戦で完全試合を達成した。


●1965年センバツ優勝投手・平松政次(日本石油)は大洋へ
前年のドラフト会議で中日に指名されるが、これを拒否し日本石油入り。プロではカミソリシュートを武器に大洋のエースとして君臨。最優秀防御率(1979年)、最多勝2回(1970年、1971年)のタイトルを獲得。故障が多く、ガラスのエースの異名も。


●その他、指名された主な選手は
投手では、下手投げから通算103勝をマークした山下律夫(大洋1位)、入団1年目に15勝をマークし新人王を獲得した高橋善正(東映1位)

野手では、1969年に盗塁王に輝いた阪本敏三(阪急5位)、1975年セリーグ盗塁王の大下剛史(東映2位)、通算962安打の加藤俊夫(サンケイ1位)らが指名された。





1966年(昭和41年)2次ドラフト会議の結果

巨人
1位 槌田 誠三 立教大 捕手
2位 深沢 修一 甲府工高 外野手
3位 上垣内 誠 東洋大 外野手
4位 三浦 健二 日本石油 投手
5位 高畠 導宏 中央大 外野手
プロ入り後の成績

中日
1位 伊熊 博一 中京商高 外野手
2位 伊藤 久敏 駒沢大 投手
3位 井手 峻 東京大 投手
プロ入り後の成績

広島
1位 西本 明和 松山商高 投手
2位 矢沢 正 中京商高 捕手
3位 東山 親雄 亜細亜大 捕手
4位 佐藤 直信 岡山東商 内野手
プロ入り後の成績

サンケイ
1位 加藤 俊夫 日本軽金属 捕手
2位 西田 暢 早稲田大 内野手
3位 後藤 和昭 駒沢大 内野手
4位 近藤 徹 法政大 内野手
5位 神尾 広一 桐生高 内野手
プロ入り後の成績

阪神
1位 西村 公一 甲府工高 内野手
2位 大倉 英貴 芝浦工大 内野手
3位 杉政 忠雄 平安高 内野手
4位 伊藤 博昭 平安高 外野手
プロ入り後の成績 

大洋
1位 山下 律夫 近畿大 投手
2位 平松 政次 日本石油 投手
3位 柳沢 一三 日本大 投手
プロ入り後の成績

西鉄
1位 荒武 康博 報徳学園高 捕手
2位 塩沢 誠 専修大 内野手
3位 清水 正輝 関西学院大 投手
4位 斎藤 正人 秋田高 捕手
プロ入り後の成績

阪急
1位 平林 二郎 中京商高 内野手
2位 岩本 紘一 亜細亜大 内野手
3位 畑矢 敬治 平安高 捕手
4位 前田 正広 報徳学園高 投手
5位 阪本 敏三 河合楽器 内野手
プロ入り後の成績

近鉄
1位 門野 利治 平安高 投手
2位 加藤 英夫 中京商高 投手
プロ入り後の成績

南海
1位 中村 之保 法政大 内野手
2位 山本 忠男 龍谷大 内野手
3位 松室 武 龍谷大 外野手
プロ入り後の成績 

東京
1位 八木沢 荘六 早稲田大 投手
2位 岩崎 忠義 津久見高 内野手
3位 山内 健治 関東学院大 捕手
4位 仲子 隆司 日本楽器 投手
プロ入り後の成績

東映
1位 高橋 善正 中央大 投手
2位 大下 剛史 駒沢大 内野手
3位 里見 忠士 法政大 投手
プロ入り後の成績





1966年(昭和41年)ってどんな年?
日本レコード大賞 橋幸夫「霧氷」
最優秀新人賞 加藤登紀子「赤い風船」
荒木一郎「空に星があるように」
世相や流行 ビートルズ初来日でグループ・サウンズ流行
流行言葉 びっくりしたなもう 〜ダヨーン こまっちゃうな
社会の出来事 国会の黒い霧 田中彰治事件
プロ野球の優勝チーム セ:巨人89勝41敗4引 パ:南海79勝51敗3引
プロ野球の最優秀選手 セ:長嶋茂雄(巨人) パ:野村克也(南海)
春の甲子園優勝校 中京商(バッテリー:加藤−矢沢)
夏の甲子園優勝校 中京商(バッテリー:加藤−矢沢)