| プロ入りした甲子園のヒーロー達 (1979年夏の甲子園大会) |
| 星稜スタメン | 箕島スタメン | |
| 1番 (一)加藤 2番 (左)金戸 3番 (遊)北 79大洋4位 4番 (捕)川井 5番 (投)堅田 6番 (右)音 87中日5位 7番 (中)山下 8番 (二)石黒 9番 (三)若狭 |
1番 (捕)嶋田 84阪神4位 2番 (左)宮本 3番 (二)上野山 4番 (一)北野 5番 (遊)上野 79巨人4位 6番 (中)森川 7番 (右)久保 8番 (三)榎本 9番 (投)石井 82西武3位 |
| 延長18回の死闘を演じた両校から、5人の選手がプロ入りした。 まずは下手投げの石井毅(箕島)。1978年から4季連続で甲子園出場。1979年は甲子園春夏連覇の偉業を達成した。高校卒業後は捕手の嶋田宗彦とともに住友金属へ入社。社会人では橋戸賞を受賞するなどの活躍で、都市対抗優勝に貢献した。 1982年ドラフト会議で西武3位入団。プロでは持病のヘルニアが原因で突然の引退。在籍期間は短かった。引退後は故郷・有田市でみかん販売などをてがけ、現在は「木村竹志」に改名し、和歌山スポーツアカデミーの理事長。 次に箕島の一番バッター・嶋田宗彦(箕島)。この星稜戦では延長12回裏、起死回生の同点本塁打を放った。高校卒業後は投手の石井とともに住友金属へ入社。1984年にはロス五輪代表メンバーに選出され、同年ドラフト会議で阪神4位入団。 プロでは1年目にいきなり日本一を経験。169cmの小さな体ながらファイト溢れるプレイで、一時はレギュラーとして活躍した。 一方、この試合に敗れた星稜高からは、音重鎮と北安博の2名がプロ入りした。音重鎮(星稜)は名古屋商大〜新日鉄名古屋を経て、1987年ドラフト会議で中日5位入団。1991年に広島へ移籍。守備の名手として知られ、1995年にはゴールデングラブ賞を受賞した。 北安博(星稜)は1979年ドラフト会議で大洋に4位入団。1986年にはイースタンリーグで盗塁王に輝くなど俊足がウリの選手だったが、一軍では実績を上げることができなかった。 |